大人の発達障害とうつ夫!娘もADHD!ボーダー家族の奮闘日記^^

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おはようございます!
今日はまたデニーズにきてお仕事しています!
もう、今月のお小遣いが底をつきそうですが、
おうちにいるより仕事がはかどるのでつい通ってしまいます^^;
これ、経費で落ちないかしら…www


今日から少しづつ違うネタについて書いてみようと思います。
我が家にはADHD注意欠陥障害の家族が2人います。
一人は夫(しげち)です。
彼は大人のADHDからうつになってしまい、現在は治療しながら小康状態です。
もう一人は長女です。
長女は幼少期からその傾向がありましたが、
病院受診をする決断がつかずに中学3年生になってやっと診断されました。
ワタシの家族は、そのほかに、小学校3年生の次女と、三歳の3女がいます。

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診断に至った経緯や、これまでの生活、
発達障害について思うことや、生活の中で感じる葛藤や楽しみ、
些細なこと、くだらないこと、ちょっと真面目なことなど
いろいろなことをお伝えして、同じ環境にいるかたと共有できたり、
また、ADHDについて多くの人にしってもらうきっかけになったらうれしいです。
今や発達障害ラッシュとでもいうほど、一般的になりつつあります。
身近に、おや?と思わせる同僚がいたり、上司がいたり、友だちがいたり、
何となく感じる方もいるでしょう。
また、自分自身がそうなのかも?と、生きづらさを感じている人もいるでしょう。
それくらい、「発達障害」という言葉は社会の中で認知されつつあります。
それでも、実際どう接したらいいかわからない、
どうやって社会に適合していけばいいのかわからない、と
なんとなく悩んでいるボーダーと関わる方、感じている方もたくさんいるはずです。

■ 発達障害のボーダーという苦しみ

我が家の二人はどちらかというとボーダーです。
ボーダーにはボーダーの悩みがあります。
障害からくる行動が極端であれば、周囲も気が付いて
それなりのサポートを受けることもできるようになってきた近年ですが、
行動が極端でない分、自分でも、社会でも微妙な位置にいて、
なんとなく生きづらいだけに、その援助もはっきりとしたものがなく、
ただ、自分も周りもこまってしまう、そんな厄介なパターンなのです。
下手すると、社会では、ダメな奴、というレッテルが張られてしまう、
そして、本人も深く傷つき社会に出ていくのをやめ引きこもってしまう。
ボーダーの悩みはそんなところにあります。

それから、いろいろなところで盛んに啓蒙活動が行われていて、
以前よりもいくらか理解されるようになっているのは事実ですが、
大人のADHDはまだまだ社会的に周知されているわけではないようにおもいます。

我が家でADHDが初めて意識されたのは十数年ぐらい前のこと。
最初は長女でした。
しかし二人の診断がついたのはその後13年もしてからでした。
きっかけは、夫が当時仕事でトラブルを抱え、
うつ傾向となってしまい、一緒に心療内科に受診したことでした。

■ 我が家の家族

ワタシたちが住んでいるのは東京の郊外。
二人とも病院に勤め、そこで知り合い、付き合い結婚しました。
ダンナのワタシの6歳年下で、愛称は「しげち」です。
しげちは、仕事に対してまじめで、九州男児だからか、今時珍しい亭主関白傾向で、
家族を大切にする、というか、家族を守りたい、という傾向が強い男性でした。

我が家は女子4人男子1人の5人家族です。
三人の娘に囲まれしげち男ひとりでいつもかしましい女子たちにもまれております。
長女、9歳離れた次女、さらに5歳離れた三女。
いつまで子育てが続くのやら、という感じです。
三女が生まれるころまでは、ホントに普通に、楽しく、明るい我が家でした。

■ 夫しげちのこと

しかし、3女の妊娠がわかったころに雲行きが怪しくなりました。
職場の上司が代わり、新しい上司はとてもワンマンでめちゃくちゃな方でした。
そんなトップの下でしげちは主任という中間管理職となり、このころから人生の歯車は狂ったように思います。
しげちは上からも下からも板挟みとなり、いろいろな裏切りに会い、
精神的に耐えられなくなってしまったようで、
結局三女妊娠というタイミングの悪さで、10年務めた病院を去ることになりました。
どちらかと言うと、単純で人懐こく、すぐに人を信じてしまい、、まじめで表裏なく、
不器用でうそがつけなくて、全力投球してしまう、自分より人のことを考えてしまう、
そんな性格が、裏目に出てしまい、しげち自身がすべてを背負いこむカタチとなってしまい、
結果うつ病を発症することになってしまいました。
そして、予想外の転職と、3女出産という経済的負担の増強も、精神的負担を増すこととなり、
その症状に拍車をかけてしまいました。

子どもが増える前に、と帰省した時、彼はもはや布団から起きだせず、まったく燃え尽きた、まさにうつ病患者でした。
どうにか、このまま実家にいては本当に廃人になってしまう予感がして、両方の両親に協力してもらいどうにか布団から連れ出し飛行機に何とか乗せて東京に戻ってきました。
今でも、ぞっとします。このまますべてが壊れてしまうのではないかと…怖かった。
でも、今の生活を考えたら、壊れてしまっていたのも、ありだったのかもしれません。
いえ、決して今が辛いから、とか、どん底、とかではなくて、
それでも、それはそれで人生というか、
人生に間違いなんてないと思うから、ですね。

でも、ちょっと飛躍してしまうので、戻りましょう。
とにかく、東京に戻ってすぐにかかりつけの心療内科に飛び込みました。
すると、先生もこれは手に負えないまずい事態と思ってくださって、
直ぐに紹介状を書いて、一番信頼できる専門医を紹介してくださいました。
紹介された先は大きな病院ではありませんでした。
隣の市にあるビルの一室で開いている小さなクリニックでした。
大丈夫かな…ちょっと不安になりました。
いかにもやとわれの、たどたどしい心理療法士のカウンセリングをうけ、さらに心配になりました。
でも、診察室に入って、先生にお会いした時に、
先生はしげちを見てすぐにしげちが抱えている不安を把握し、
その不安を解決してくれたのにはびっくりしました。

下されたのは、ADHDからくるうつ病でした。
ワタシには全く予想就きませんでした。
そして、彼の心配の多くが、金銭による不安であることを感じ、
生活保護の選択肢まで紹介されました。
正直、ワタシには経済的不安という感覚は全くなかったので、「は?」という感じだったのです。
しかし、しげちは、凄く安心した、と言うのです。
初めて経済的な、いえ、人生の考え方、価値観が私と大きく違う人であることを知りました。
結婚してから、教育について、家庭について、環境について、ものの見方について、
こんなに似ている人はいないと思ってきたのが、実は全然違うひとなんだと知りました。
彼は、大黒柱であるがゆえに、家族を路頭に迷わすことはできない、というプレッシャーが常にあったようです。
ワタシには全くない価値観。
ワタシはどちらかというと、生きていれば人生どうにでもなる、という考えがもとにあります。

そんな診断がついて、治療が始まりました。
しかし、我が家では失敗の繰り返しです。
しげちはその後転職を3回しました。
どの職場も、以前の病院に比べて年収の減少や人間関係の軋轢に耐え切れず、です。
今、最初の職場を退職して、3個目の職場です。
やはり、人間関係で苦戦しています。

その後についてや、長女についたはまたの機会に書きたいと思います!
よろしくお願いします!

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